カンボジアのまさと(masato_ogiwara)です。
僕には小学生の頃から今でもずっと変わらない夢があります。
それは、学校の先生になることです。
僕は大学生の時に、中学・高校の保険と体育の教員免許を取得しました。
なんでカンボジアにいるの?とかなんで今すぐ先生を目指さないの?ということをよく言われますが、それには僕なりの理由があります。
今回は僕が先生になりたいと思った理由と、今すぐに目指さない理由を書きます。
僕が先生になりたいと思った理由
僕が学校の先生になりたいと思ったきっかけは大きく分けて二つあります。
尊敬できる先生方に出会えたから
まず一つ目は、僕の人生を変えてくれたと言っても過言ではない先生たちに出会えたからです。
人生を変えたっていうと、大げさに聞こえるかもしれませんが、頭が悪く頑固で融通の利かない僕は本当にどうしようもない生徒でした。
しかし、小学、中学、高校とそれぞれで、厳しく指導してくれる先生に出会い、勉強はもちろんのこと、生きていく上で大切なことをたくさん教えていただきました。
この先生たちと出会うことがなければ、きっと僕はこんなに活発に活動をすることも、ソフトテニスを頑張ることもなかったと思います。
いっぱい反抗して、いっぱい怒られたけれど、それでも最後まで見捨てないで指導してくれた先生たちには感謝してもしきれません。今思えばいつの時も僕は本当に先生に恵まれていたと改めて感じます。
僕もそんな当時お世話になった先生たちのように、誰かの人生を導いていけるような、そんな先生になりたいと思っています。
学校という場所が好きだから
僕はとにかく学校という場所が好きです。
学校フェチという言葉があれば当てはまるくらい、校舎とか校庭とか教室とかが好きです。笑
アサガオ育てたい。
今でも地元へ帰ったら、当時通っていた小学校や中学校へ散歩しにいったりするくらい僕は”学校”という場所が好きです。
教育実習へ行ってより気持ちが強くなった
(大学4年生の頃の教育実習にて)
僕は大学4年生の頃に、母校である宮城県の東北高校に教育実習へ3週間ほど行きました。
当時はフィギュアスケートの羽生くんのクラスの担任でした。会えなかったけど。
その教育実習で僕は人生で初めて”先生”と呼ばれる経験をし、嬉しいような恥ずかしいような思いをしたことを今でも鮮明に覚えています。
当時は、多くの教育実習経験者が「実習は死ぬほどきつい」とか、「全然ねれなくてしんどい」というように言っていましたが、そんなことは全くありませんでした。
自分がやりたいと志望して受け入れてもらっているので、辛いとか大変というよりかは、むしろ「もっと実習を続けたい。延長したい!」とさえ思っていました。
実際に現場に入ってみることで、”先生”という職業のやりがいや大変さを実感し、同時に先生と呼ばれることへの責任感も感じました。
それは生徒から見ると、先生の発言はすべて正しいものであると感じるだろうし、適当なことは言えなく、常に”先生として”見られているという意識も必要をいうことです。
そういうのもひっくるめて、先生になりたいという思いが教育実習を通じてより強くなりました。
今すぐに先生を目指さない理由
僕が今すぐに先生を目指さず、カンボジアで起業家として活動しているのには3つ理由があります。
友人のほとんどは、大学を卒業して教員採用試験を経て、全国各地で先生をやっているので、学校の先生になること自体がまず難しいということも、 実際に先生として働くことの大変さもよく耳にするのでわかっているつもりです。
それでもあえて今は目指さないのは以下の理由があるからです。
社会の仕組みを知る必要があると感じた
僕は自分自身が大学を卒業してすぐに先生となり、誰かに”教える”立場になることが想像できませんでした。
それは大学を卒業するまで社会人経験がアルバイト以外なく、社会の仕組みやビジネスのことを全く知らない人が、そのまま教育現場に入り、先生として子どもたちに何を教えられるのか?と感じていたからです。(決して第三者を否定しているわけではなく、自分自身の立場として考えた場合の話です)
だから僕はまずは社会に出てビジネスを学び、お金を稼ぐ経験をしてからでも、先生になることは遅くないんじゃないかと思い、就職することを決めました。
(引用元:Newsweek日本版)
実際に経済協力開発機構(OECD)が2013年に実施した「国際教員指導環境調査(TALIS2013)」では、日本の中学校の教員の約8割は社会人経験が0年で、アメリカやイギリスではそれぞれ2割未満と3割未満というように、社会人経験のある先生が多いことがわかります。
とは言えど、学校現場にそれだけコミットした先生が多いということは、そのぶんの経験値もあるということなので、社会人経験がないことが決してマイナスではないと思いますが、どちらが正解なのかということは僕にはわかりません。
しかし、僕自身が先生として教壇に立つのであれば、ビジネスマンとしての立場や、海外での活動経験という”教育外”の視点からのアドバイスもできるようになりたいと思っています。
学校教育に関わる方法は先生になる以外にもある
そして僕はカンボジアに渡り、ビジネスをすることになり、今では経営者という立場で仕事をするようになりました。
カンボジアに来たから日本の学校教育と関わることができないのか?と言われれば、決してそうではありません。
これまで大学生向けに二度カンボジアへのスタディツアーを企画したり、日本へ帰国したタイミングで大学や高校へ訪問し、講演会などをさせていただく機会をいただきました。
広い意味でこれは日本の学校教育と関わるということの一つでもあり、学生さんたちと関わる機会を作ることは、僕にとって先生になるための準備でもあります。
確かに、担任としてクラスを持つことや、部活動の顧問になったりするということはできませんが、学校教育に関わるという意味ではすごく貴重な機会になっています。
カンボジアでもできることはある
僕はカンボジアに住み始めたことで、いかに勉強が贅沢であり、恵まれていることかを知りました。
日本の今の子どもたちの中には、「勉強なんかしたくない」という子が多いという話をよく耳にしますが、カンボジアでは多くの子どもたちが「勉強したい」と強く望んでいます。
しかし、そのような勉強をしたいという子どもたちに、いまの僕がしてあげられることは無力さゆえ何もありません。
だけどそんな僕でも、これまでやって来たソフトテニスを通じてであれば、なにか貢献できるのではないかと思い、現在カンボジアのいくつかの大学や学校を訪問し、学長さんや先生たちに「ソフトテニス部を作りませんか?」というお話をしています。
当たり前ですが、相手は大学であり、多くの学生は勉強をしに来ているわけなので、すぐに「やりましょう!」という前向きな回答をもらうことはできていませんが、ソフトテニスがカンボジアにとってマッチするスポーツであることを毎回伝え、将来に繋がればと思っています。
すべての活動の軸には”教育”がある
僕のブログを見てもらえるとわかると思いますが、僕はいろいろなことにチャレンジしています。
だからこそ、「何をしている人なのかよくわからない」ということをよく言われます。
だけどそれは僕にとっては“手当たり次第にいろいろ”なことにチャレンジしているわけではなく、“「教育」という軸のもといろいろ”なことにチャレンジしています。
カンボジアに来て教師になるという夢を先延ばしにしているようにも見えますが、実はどの活動にも根底には”教育”があり、すべては将来の活動につながっていきます。
講演会呼んでください!
(地元の中学校での講演会)
僕はこれまで数回学生さんたちの前でお話をする機会をいただきましたが、どこへ行っても素晴らしいご縁ばかりでした。
そこでもしブログを読んでくださっている中に先生や関係者の方がいらっしゃれば、生徒さん、学生の皆さんの前でお話しする機会を作っていただけませんか?
テーマは小学生、中学生、高校生、大学生に向けてそれぞれ考えて作ります。
もしご要望があれば、カンボジアでの活動のこと、海外で生活(仕事)すること、その年代に合わせたテーマでお話ししたいと思っています。
気軽にお声がけいただけると嬉しいです!
日本に帰ったタイミングで、全国どこへでも行きます!
ぜひフェイスブック、ツイッター、お問い合わせでご連絡ください!